名古屋グランパス 佐藤寿人。
今だから伝えたい、広島への思い
12年間プレーしたサンフレッチェ広島から、昨年名古屋グランパスに移籍した佐藤寿人選手。古巣を離れて2年経った今だからこそ言える、広島への思いとは?
プロ4年目。背水の陣で挑んだべガルタ仙台
サッカーを始めた頃から振り返ると、若い時はいい思い出があまりなかったと思いますね。苦しかったなって(苦笑)。
中学に上がる時に、ジェフ市原の育成組織に入ることができたのですが、最初の1年間は、ほんとに厳しかったです。当時は、1年間で半数もの選手がふるい落とされる中、僕には生き残れるような力がなくて。でも、本当にいい指導者の方に恵まれて、なんとか這い上がって、ユース、トップ(ジェフユナイテッド市原・千葉)へと昇格できました。
プロ1年目の時は、リーグ戦で1点も獲ることができませんでした。その後、セレッソ大阪に移籍したものの、思い通りにはならなくて。プロになって4年目、べガルタ仙台に移籍した時は、背水の陣というか、ここで結果を出さなければプロとしてはやっていけない……そんな状況でした。でも、やっとこの年、初めてシーズンを通して試合に出ることができたんです。ただ、チームはJ2に降格してしまった。
じつは、この時にサンフレッチェ広島からオファーをいただいたんです。でも、僕には「J2に落としてしまった仙台をJ1に上げる」という強い思いがあり、そのオファーは断りました。
2度に渡る広島からのオファー。自分を必要としてくれたことで、移籍を決意
結局、翌シーズン、仙台を昇格させるという役目を果たすことはできなくて。それなのに、また広島からオファーをいただいたんです。仙台を離れるのは苦渋の決断でしたけど、それ以上に広島が自分を必要としてくれたこと、タイトルを獲るためには必要だと伝えてくれたこと、そのビジョンに強く惹かれて移籍を決めました。それと広島には、ユース代表から苦楽をともにした仲間たちがいたというのも、決断に大きく左右しましたね。
広島での12年間は、選手として一番幸せな時間だった
広島では、一番いい時間を過ごせたし、広島のチームメートと一緒に成長していけたと思っています。日の丸をつけてプレーできたのも、広島へ移籍したからというのは間違いないですし。 今では、タイトルを獲るのが当たり前のクラブのように思われてますけど、僕が移籍した当時は、その熱意はあっても、J2に降格したり、苦しい時期でした。だから、2012年、2013年、2015年と3度優勝を掴むことができたのは非常に大きな喜びでしたね。その間、主力としてプレーできて、選手として一番幸せな時間だったと思います。
広島でプレーする中で、何度かサポーターの方と意見を主張し合うこともありました。『戦え広島』という弾幕がでていた時、「選手とサポーターは一緒に戦う仲間ではないのか」と伝えたりして、正直、最初は思いの違いがあったと思います。そんな中でも、J2に降格した時、離れてしまうかもしれないと思っていたファンやサポーターが、一番支えてくれました。それに、若手の選手たちが体を張って、サポーターとの距離を縮めようとしてくれたことも大きかったですね。
広島で背中を押してもらったからこそ、今、力になりたい
昨年名古屋グランパスに移籍し、広島を離れて2年経ちますが、今でも自宅はありますし、12年間プロサッカー選手としてプレーした広島は、本当に大好きな街であり、場所であり、特別なクラブでもあるんです。
今年、西日本豪雨災害があった後、一度、チームメートと二人で広島に行きました。そこには、今まで見てきた広島の街とは違い、非常に悲しい光景がたくさんあって……。これまでプロサッカー選手として、広島の街でたくさんの方に背中を押してもらったのだから、サッカー選手として、今こそ多くの方々の背中を押す番ではないだろうか――。そんなことを思っていた時に、橋さん(橋本英郎、現・東京ヴェルディ)から連絡をもらいました。(次回に続く・・・)
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