東京ヴェルディ橋本英郎、39歳。
現役を続ける、もう一つの理由
プロサッカー選手の寿命は短いと言われる中、39歳で今もなおボールを蹴り続ける橋本英郎選手。プロになって21年目。今思うこと、そして現役を続ける理由について、お聞きしました。
同じポジションには、いつも自分より上手い選手がいた
サッカーを始めたのは、小学1年生の頃。兄が所属していたクラブチームに入りました。チームでは、キャプテンをしていたけれど、自己中心的で、嫌われるタイプでしたね。
中学に上がる時、通うはずだった釜本FCが、ガンバ大阪のジュニアユースに移行したんです。それで、セレクションを受けることなく入ることができて。タイミングがよかったんですよね。ただ、小学生の頃は、井の中の蛙で、自分が一番上手いと思っていたのに、ジュニアユースには、関西、全国で選ばれている子がほとんど。その中には、稲本潤一(現・コンサドーレ札幌)もいました。明らかにレベルの違いを感じたからこそ、「自分は彼らに何が劣っているのか、一緒の部分はあるのか」と自分のことを客観的に見れるようになったし、だからこそ、まわりの動きに対して自分を合わすこともできるようになりました。
僕のサッカー人生には、必ずといっていいほど、同じポジションに自分よりも上手い選手がいるんです。ずっと稲本がいたし、稲本がいなくなったと思ったら、遠藤(遠藤保仁、現・ガンバ大阪)が入ってきて、そのあと明さん(明神智和、現・ AC長野パルセイロ)がいたり。でも、必ず誰かいるからこそいつも必死で追いつこうとしていた気がします。
西野朗さんとの出会いで、プロの道へ
ガンバユースから練習生になり、なんとか生き残ってトップ(ガンバ大阪)に昇格できました。同時に、大学にも進みました。でも、この頃は、試合に出るチャンスは少なくて、大学を卒業したら就職しようと思ってたんです。そのために、1年留年することも決めて。
そんな時に出会ったのが、ガンバ大阪の監督に就任した西野朗さんでした。ようやく試合に出してもらえるようになり、このまま(西野さんのもとで)サッカーを続ければ、もっと上手くなれるかもしれない……。そんな感覚が芽生えてきたこともあって、サッカー1本で勝負することを決めました。
西野監督のもと、コンスタントに試合に出してもらえるようになり、J1リーグ優勝も経験しました。日本代表なんて考えてもいなかったのですが、2007年、オシム監督の時に選んでいただけたんです。僕は、いろんなポジションでプレーできるけれど、どのポジションのスペシャリストでもない。ずっと器用貧乏だと言われてたんですけど、オシム監督は、それが逆にスペシャリストだと捉えてくれたんだと思います。
日本代表に選ばれた中には、中学時代一緒だった稲本もいました。稲本は、高校でトップに昇格し、その後、海外に行ってしまったので、練習さえ一緒にすることがなかったんです。でも、代表に選ばれて、同じ場で練習できた時に、嬉しくもあり、ようやく稲本と同じステージにあがってこれたんだなという思いはありましたね。
父親になったことで、始めたこととは……
その後、ヴィッセル神戸、セレッソ大阪、長野パルセイロへと移り、2017年から東京ヴェルディに所属しています。今も現役を続けている一番の理由は、サッカーが好きだから。好きでなかったら、ここまでできていなかったかもしれないですね。好きであるからこそ、やり続けるために、苦手な筋トレもやるし、体のケアもとことんやる。ただ、今は、父親になったことで、家族との時間も大切にしてるんです。サッカー選手としては、それが正しいかどうかはわからないですし、葛藤もあります。それでも、子どもとの時間は、今しかないですから。
家族ができ、子どもを持ったことがきっかけで、始めたことがあります。それは、病気の子どもたちを支援するチャリティ活動です。現役選手であるからこそ、力になれること、伝えられることがある。プロ選手でいる意味っていうのは、そういうところにもあるのかなと思っています。(次回に続く・・・)
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