心ない言葉から引退も視野に…たぬかなが語る選手人生の苦悩と描く未来
数少ない女性プロe-Sportsプレーヤーとして絶大な人気を誇るたぬかな選手は、高校時代に出会った鉄拳にのめり込み、社会人になってからもプレーを継続。「プロ」への意識はなかった彼女が、この世界に足を踏み入れた経緯とは…。
プロになったことで感じることとなった苦痛、そして「引退後」について赤裸々に語る。
父親と彼の反対を押し切ってプロに
鉄拳に関してはNOBIさんという方がプロ第1号でした。スポンサー企業をつけて活動するのがプロという形でしたが、スポンサーしていた会社が1、2カ月で離脱してしまったんです。それゆえ「プロゲーマー」に良いイメージが持たれなくなってしまいました。NOBIさんはその後、別企業がスポンサーとして付いたのですが、この一件からプロになることに対して不安を持っていた人は多かったです。
ルートとしては、スカウトされてプロになる人がほとんどだったのですが、私はそうではないんです。
鉄拳ユーザーの中では「田舎でランクが高い女の子ユーザー」くらいの認識だった私には声はかからなかった。ただ、たまたま鉄拳のプロを公募していることを友だちから聞いて、応募してみることにしました。
最初の選考は「プレー動画を送る」という形だったのですが、動画編集ができなかったので、5分程度と指定されていたのに2時間の動画を送りました(笑)。でも、熱意が評価されたのか、1次審査を通過しました。
2次審査で交通費を先方が出してくれる形で大阪に行ったのですが、その面談で会社の方が「何のためにこの会社を作ったのか」との思いや待遇について説明されました。そこで初めて現実的に「プロとしてやっていけるのでは…」と思ったんです。
正直、それまではプロに対してネガティブなイメージはありました。ただ、会社自体がしっかりとしていることも分かりました。2次審査は面接でしたけど、私は最初から冷やかし気味で行っていたので、フランクに話していました。
「女の子が入ってくれたらピンクのユニフォームを作りたい」という話が出たら、「マジですか、作りましょうよ!」というようなテンションでした(笑)。
その時点で行けそうな感覚はありましたね。女子はいなかったですし、鉄拳のランクも私が1番高かったんですよ。
その感覚通り2次審査に合格することができて、3次審査では実際のランクマッチを見てもらって、合格することができました。
親には2次審査が終わったタイミングで初めて報告したんですけど、驚いていましたね。
合格後も父親はしっかりとは了承はしてくれなかったのですが、大阪に住むことが条件だったので、引っ越しました。
ただそのとき、高校生の時に同じグループにいた男の子と付き合っていて。その子と結婚の話し合いも出ていたのですけど、大阪に行くことをまったく伝えていませんでした。遠距離は無理だとも言われていたので、止められるだろうと。大阪行きを伝えたら、かなり怒って…結局別れることになりました。
プロになろうと考えた理由のひとつとして、都会に憧れがあって「行ってみたい」と言う思いもあったんですけど(笑)
プロになって味わった意外な苦痛
収入はユニクロの時より良かったので問題はありませんでした。ただ、それまで趣味で楽しくやってきたことを競技として、プロとしてやることになるので、面白くなくなるんです。
今までは時間を見つけて毎日やっていたものが、仕事になると「やらないといけない」ものになる。2年目くらいからそれが顕著になりました。配信もしたくないですし、人前で目立ちたくなくなりました。何か言われるのが嫌になってくるんです。
トータルで見たら肯定的な意見のほうが多いですけど、ネガティブな意見を重く捉えてしまうタイプなので。ゲームをしたくなくなりますし、配信は良くても顔は消したくなります。
女の子が普通に暮らしていれば、そこまで「ブス」と言われることは日常茶飯事ではないと思うんです。ただ、この業界に入るとそう言われることも多くなります。
普通の女の子が一生で言われるぐらい…「こんなに言われるんだ」と。
見た目のことを言われすぎて、整形したいと本気で思うこともありました。腕のことではなく見た目のことを言われるのはきついですね。最初は目立ちたくて来たのに、ここで苦しさが来るとは思いませんでした。
ただ、私がプロになれた理由は競技の腕が100パーセントではないことは分かっています。だから、そこで文句を言ってしまうとダメだと思っています。
でも、特に1年前くらいはかなりすごくて、辞める方向ではいましたね。腕でやっていきたいと言うのもあって、頑張って1度大会で準優勝という成績を残したのですけど、それでも言われるんです。
オンラインのトーナメントということもあって、「別のプレーヤーが代わりにやっているのではないか」とも言われましたし。そんなわけはないんですけどね。
結局、結果を残しても、言う人は言うんです。だったらやっていてもただ辛いなと思って、1度徳島の実家に帰って、親に辞めることを話しました。
その時はメディアにも結構出ていたせいか、父親から「辞めないで欲しい」と言われたんですよ。父親は中卒で、家の仕事を継いでずっと働いていたんですけど、やりたいことをやって準優勝して、メディアにも出ている娘を見るのが、親としては嬉しいと言ってくれて。
親戚や友だちにも自慢しているらしくて、テレビも一緒に見ているそうで(笑)。
しんどいのはもちろんあるだろうけど、続けて欲しいと言われ、そこでまたやる気になって、大阪に戻って続けることを決めました。
プロゲーマーとして食べて行けなくなったら…
プロになってからはゲームセンターに昼から行って、閉店の24時まで練習して、そこからみんなでご飯を食べる。帰宅したら配信を始めて、朝方の6時から7時くらいまで配信して寝て、昼に起きてという感じです。最初はいつも息抜きでやっていた鉄拳をずっとやれるのが楽しかったですけど、半年もすると面倒くさくなってきます(笑)。
息抜きとして手芸をたまにやっていて、Instagramにも上げています。手芸を始めたのは20歳くらいからですね。最近は似顔絵を書くことにもハマっています。
美術系が得意で、中学と高校では絵で賞をもらったこともあります。仕事にするまではいかないですけど。最近ではモニターをミニチュアで作りました。ゲームで食べていけなくなったら、小物作りでどうにか(笑)。
アイドル売りをしたくないからこそ見つけた未来
私は腕が100パーセントでプロになれたわけではないと捉えていますし、ゲーマーアイドルというような立場も30代になると厳しくなってきます。今でもアイドル売りはしたくなくて、硬派でいたいと思っているんですけど、どうしてもそういう紹介のされ方はしてしまいます。
メディアの仕事などを断って強化して行けば、早い段階で強い相手に勝てるようになるかもしれません。ただ、最近は他にできることがあればそれを選択しても良いかなと。
業界にとってはそちらのほうが良いかもしれない、と思うんです。ゲーム以外のこともできるという未来を見せていくことは大事なのかなと。
実は、ゲームのアップデートで私が使っていたキャラクターが弱体化して、真ん中より下くらいの力になってしまって。本当に腕のある人はどのキャラクターを使っても強いですけど、私の場合は基礎がないからこそキャラクターの能力に依存することがある。それによって少し勝つのも厳しくなって行きます。
だからこそ、今年はすごく自信がないんです。
そこからいろいろ考えて出てきた答えが、私にしかできないことで頑張っても良いのではないかと…。女性のプロゲーマーがどう言うものなのか知りたい人もいると思いますし。
e-Sportsの選手として考える「引退後」
今はまだ年齢的に問題ないかもしれないですけど、セカンドキャリアについては、すごく考えるようになりました。地元・徳島にe-Sportsのチームを作りたいなと。競技者としてトップで戦えなくなったとしても、アドバイスはできますから。
徳島在住の人たちだけを入れるようにして、県民に夢を与えられるようにしたいなと。それをひとつの成功例として、別の都道府県でもやってくれるようになることを夢にしています。
私も監督のような立場で面接などをやってみたいですし(笑)。ゆくゆくは徳島の企業を集めて、私やレッドブルがいなくても、チームが独立してやっていけるような環境を作りたいと思っています。
e-Sportsのチームができることで、ゲームに興味のない人でも、地元にチームがあるのであれば応援しようと言う形になります。他の都道府県でも同じようなことは起きると思うので、そうしてゲーム業界に人を巻き込んで行くことができると考えています。
そうやって地元の徳島を盛り上げて行きたいな…と思っています。
<番外編>素人がe-Sports選手に挑んだらどうなるか…
インタビュアーを務めた私、竹中も実は鉄拳4からプレー経験あり。仮に素人がプロ選手に挑んだらどうなるか…。結果はこうなりました。
<写真・撮影:市川 亮>
(次回に続く・・・)
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