【対談】田村淳が迫る、プロテニスプレーヤーの知られざる日常
大坂なおみ選手が四大大会を制するなど、日本のテニス界も華々しく脚光を浴びる時代がやって来た。錦織圭選手の活躍とも相まい、プレーヤーの素顔もメディアで取り上げられるようにはなった。
しかし、果たしてテニス選手の日常とはどのような生活なのだろうか。そんな疑問に答えるべく、WTAプレーヤー・美濃越舞選手に、同じ吉本事務所の大先輩である田村淳さんがプロテニス界の裏事情について聞いた。
日頃、メディアなどで鋭く切り込む田村さんは、美濃越選手の素顔にどこまで迫ったのだろう。
スポンジボールに始まり8歳からはテニス一色
田村淳:美濃越さんがテニスに触れたきっかけを知りたいのですが、何歳ぐらいから始めたのでしょうか。
美濃越舞:小学校1年生の時なので6歳か7歳ぐらいの時ですね。
田村:早めですね。
美濃越:もっと早い人もたくさんいます。3歳とか、覚えてないぐらいの時から始める人もいますね。
田村:キッカケは何ですか。
美濃越:キッカケは家族がみんなやっていたので「私も!」という感じですね。
田村:僕はテニスを1回もやったことないんですけど、小学生の小さい女の子がラケットを振れるものなんですか。
美濃越:最初はスポンジボールでラケットも小さくて、遊びみたいな感じでしたね。
田村:家族がやっていて、みんなでテニスをやる環境があったと。そこから本気でテニスをやろうと思ったのはいつですか。
美濃越:姉がある大会で優勝して、県大会の次に関東大会があって、全国大会があるという仕組みを知りました。それからですかね。小学校3年生ぐらいの時から(本気で)やるようになったと思います。父がけっこうスパルタだったので、強制的な部分もありました。
田村:でも本当に嫌だったらやらないですよね。最初はそんなに乗り気じゃなかったんですか。
美濃越:ただ、結果もともなっていたので何とか続けていたのかもしれないです。
田村:すぐ結果が出たんですか。
美濃越:すぐでもないんですけど、試合に出たら勝てたりしていて。初めて全国大会に出たのは6年生の時ですね。
田村:やっていて楽しいというよりは、結果がついてくる感じだったんですか。
美濃越:でも、楽しいとはあまり思ったことがなかったですね(笑)
田村:小学校の時にですか。僕のソフトボールと一緒ですね。親父が野球好きでソフトボールに「行け行け」と言われ、何とかソフトボールから逃れようと、バスケットボールに逃げて行ったんですよ。ただ、結果が出るようになってから「まあちょっと続けてみるか」という風になったんですね。
美濃越:そうですね。けっこう今思えばそういうところもあったかもしれないです。
田村:小学校6年生で全国大会に行けるというのは相当な実力者になっているということですよね。学校内じゃ勝てる人はいないですよね。
美濃越:「硬式テニス」をやっている人が周りにもいなかったんですよ(編集部注:中学生以下の部では軟式テニス人口が多い)。
田村:「全国大会いくぞ」となった時はさすがに火がついていますよね。
美濃越:たぶんそうだと思います。生活の一部で、やりたいからやっているというよりかは、やって当たり前のものだったので。
田村:学校に行って勉強終わったらすぐテニス、それで家に帰って寝て…という生活の中で、友達との時間はありましたか。
美濃越:ほとんどないですけど、たまにありましたね。でも、あまり覚えてないですけど。
田村:それぐらい叩き込まれないと活躍する選手にはなって行かないんですかね。周りの選手と話をしていてそう感じたりしますか。
美濃越:そうですね。中学高校とテニス漬けの人が多いですね。
田村:やっぱりそうですよね。青春を謳歌しようと思って友達との時間を作ろうと思ったら、なかなか選手としては難しいですよね。
美濃越:時間がないので。テニスクラブに通っていたんですけど、学校から帰ってきたら、すぐ行かないといけないですし、なかなか時間は取れなかったですね。辛いという認識もあまりないんですけど、ただテニスばかりしていたなと。
田村:その中で、「テニスやっていて楽しいかも」と思い始めたのはいつからですか?
美濃越:うーん…この5年ぐらいですかね。
田村:めちゃめちゃ最近ですね(笑)。ようやく楽しめるようになってきたんですね。
美濃越:1回怪我で長い間休んでいた時があって、その時にランキングも今よりもなかなか上がってなくて、引退とかも選択肢のひとつにあったんです。そこでけっこう考えたり、色々な人の話を聞いたりした中で「やっぱりやろう」と決めて。そこからはすごく楽しくなりましたね。
「プロ資格」は難しくない、しかしその裏事情
田村:プロを目指そうと思ったのはどうしてなんですか。
美濃越:中学2年生か3年生の時に出会ったコーチがいたのですが、その方からプロの話を聞くようになって、そこから「なりたいな」という気持ちはなんとなく出て来ました。
田村:僕の周りにテニスをやっている人はいっぱいいるけど、プロに行こうという人にひとりも会ったことがなくて。よっぽど実力が認められた人じゃないと、プロ転向はできない世界なんですか。
美濃越:ゴルフとかみたいにプロ試験があるわけではなくて、日本テニス協会にプロ申請を出して、そこで通ればプロの資格自体は取れるんです。ある程度、簡単なんですよね。
田村:でも逆に大変そうですけどね。日本テニス協会が認めた人じゃないとなれないってことですよね。
美濃越:資格そのものは取れるんですけど。ただプロという肩書きはあってもツアーを回れなかったり、出られる大会と出られない大会もあったりで、実際にプロの行動をしているかというとそうではない方も中にはいます。
田村:プロになれたからと言って順風満帆なプロ生活が送れたとは限らないんですね。日本にはどのくらいプロ選手はいるんですか。プロを辞めるというのは自分の判断になるんですか。
美濃越:そうですね。
田村:日本テニス協会が「あなたはもうプロじゃないですよ」という通達が来ることはないんですか。
美濃越:犯罪に手を染めたりとかそういうことをしてしまうと除名にはなりますけど、基本的にはないです。一応、大きな額ではないですけど、年会費的なものがあって、それを納めているうちはプロとして認められますね。
遠征費もコーチの日当も自分でまかなう
田村:プロになって今までとは当然違ってくると思うんですけど、プレーの仕方だったりとか、それでお金を稼ぐとなったら、今までのテニスとは変わったと思いますけど、プロになって1番苦労したことはなんですか。
美濃越:やっぱり海外遠征が多くて、それをひとりで回らないといけないこともあるので、色々な手配とかそういったところは大変ですね。
田村:自分で便とかも手配するんですか。僕だったら絶対無理ですね。「この試合に間に合うように」、それに紐づくもろもろのチケットも自分でやるんですか。
美濃越:そうです。ホテルをとるのも、大会のエントリーもそうですし。大体1週間で1大会なんですけど、インターネットでログインすることで、大会を選べる。エントリーの締め切りがあるので、その日までに決めるというのを毎週やっています。
田村:どこだったら勝ちやすいとか、どこだと気候的に試合がしやすいとか全部自分で調べるんですか。
美濃越:そうですね。やはりアメリカ方面に行ったら1週間で帰って来るのは時間もお金もかかるし時差もあるので、そこは避けるとか。
田村:マネジャーはついてくれないんですか。
美濃越:本当にトップ(選手)だけだと思います。錦織圭選手とか大坂なおみ選手とか。
田村:その2人ぐらいなんでしょうか。
美濃越:日本だとほぼ自分でやっているんじゃないですかね。たまにコーチがその役割をやってくれるみたいですけど、私の周りにはいないです。
田村:こっちに行きたいけどこの渡航費だと無理だな、ということもあるということですよね。
美濃越:そうですね。こっちにコーチと一緒に行ったら、費用は全部選手が出すので、すごいお金がかかる。だから、アジア、中国の大会に行こうとかを決めますね。
田村:ちなみにコーチの分(費用)も出すんですか。
美濃越:私が雇ったら日当と食費は全部自分が負担するという形ですね。
<写真・撮影:山本晃子>
(次回に続く・・・)
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