レッドハリケーンズ金勇輝が語るスーパーラグビー・ハイランダーズへの留学
NTTドコモ・レッドハリケーンズと聞いて、ピンと来る方はそれなりのラグビー・ファンだろう。レッドハリケーンズは、もちろんラグビー・トップリーグに籍を置くチームではあるが、残念ながら「強豪」と呼ぶには少々無理がある。昨年は下部リーグに沈み、年末の入れ替え戦を経て、2019年シーズンに向け再昇格を果たしたばかりだからだ。
強豪チームではないが復帰に対し無策でいるわけではない。長中期的な視点から新たな施策として、チーム初となる試みに挑む。ニュージーランドのスーパーラグビー・チームとパートナーシップを結び、若手選手を本場に派遣、長期的に学びを与え、そのノウハウをチームに持ち帰るプロジェクトを始動させた。
今回は2月末よりニュージーランドに派遣された金勇輝選手が、渡新を前にその意気込みとラグビーへの思いを語った。
トップリーグ初の長期留学プログラム
自分は3年前、社会人1年目の終わりにニュージーランド・ウェリントンのクラブチームに3ヵ月短期留学してまして、ウェリントン・アカデミーでラグビーと並行して語学学校にも通わせてもらいました。
しかし今回は前回とはまったく別物。留学を組んでいるトップリーグのチームはこれまでにもありますが、レッドハリケーンズはスーパーラグビーのハイランダーズとパートナーシップを結び、1シーズンのスパンで選手を派遣するプログラムを採用しました。トップリーグとしても、選手をそれだけの期間スーパーラグビーに派遣するのは初めてだと思います。
3年前と比べ今回は非常に高いステージへの挑戦になります。最初はハイランダーズのBスコッドにあたる「The Brave Hearts」の所属。ここで全力でラグビーに取り組んで、スーパーラグビー・デビュー、州代表に選抜されることが、まずは目標です。
ラグビー王国の文化、生活をチームに還元
レベルの高いステージに挑戦させてもらえるわけですから、自分の飛躍的成長を約束する気持ちで行きます。ラグビー王国の文化、生活、語学…経験するすべてを自分のものにし人間的に大きく成長して帰って来たい。人間的成長を含めて…。それをチームに還元するのが自分の役割だと思っています。
これからチームをひっぱって行くリーダーシップを期待されて送り出してもらっているので、責任重大です。
レッドハリケーンズは、GMやコーチと試行錯誤の上、長期的ビジョンから明確に「日本一」という目標を掲げています。中長期を見据えたチーム・プランの中、いろいろな基準で選んでもらったと思います。
(トップリーグに)再昇格して、チームの今後を「変えて行く」という精神のもと、今回のパートナーシップに至ったはずで、明確に日本一を目指すために、しっかりと自分の責任を果たして来るつもりです。
聖地・花園のラグビー一家の末っ子
僕は生まれが東大阪市。東大阪はラグビーの街…。花園(ラグビー場)のすぐ近くで6歳まで育ちました。そもそも父もラグビー経験者ですし、4つ上の兄も小学校1年からラグビーをやっていました。実質2歳の頃からラグビー場に通っていたことになります。
特に男ふたり兄弟ですし、物心ついた頃には、もうラグビーをやっていた感じです。その後、僕自身も東大阪ラグビースクールという大阪の名門に入り、花園で練習していました。
しかも、母方のおじも3人ともラグビー経験者で、いとこのお姉さんもラグビー部のマネジャーだったりして。ラグビー一家の末っ子として育った感じです。生まれながらにしてラグビーやることが決まっていたみたいな(笑)。別段、ラグビーを「やらされている」という感もまったくなく、自ら好きでやってました。とにかくラグビーが楽しかったので続けて来れました。
僕は誕生日が3月29日と年度末で、4月生まれの同級生とはまる一年成長が遅い分、中学生までは身体が小さく、運動神経も良くないグループにいたので、ずいぶんとハンデではありました。ただ、気持ちは強いほうだったと思います。
その気持ちの強さは、小学校1年から5年までは道場に通って相撲をやっていたおかげかもしれません。親の教育方針として「団体スポーツだけやっていると、負けを周りのせいにしがちだ」と。
個人競技、相撲はとにかく1対1の世界。自分の実力だけ。勝っても負けても自分の責任。そこを学びました。自分だけで、どうにか勝たなければいけない…。身体が小さいわりには、強いほうだったと思うんですが…。
学校では3年から6年までサッカーもやってました。そこでは逆にチームスポーツとして、仲間の大切さ、思いやりを学びました。聞いていると、スポーツばっかりの生活に聞こえるかもしれませんが、意外に勉強もしてたんですよ。小学校では生徒会長、中学、高校では学級委員長を務めました。スポーツばかりではなくて、比較的優等生でした(笑)。
(スポーツができ勉強ができ…だと)モテたのか…そんなことはないです(笑)。あ、バレンタインのチョコを初めてもらったのは、小学校3年生の時です。でも、モテてはないと思います(笑)。
今になって振り替えると、とにかくこれまで指導者と仲間たちに恵まれて来たと思います。自分の実力よりも、各カテゴリーで恵まれていた。名門スクールだったということもあって、年長から小学5年まで大阪のスクール大会では6年連続優勝でした。ところが「7連覇確実」と言われていたのが、6年の時だけ決勝で負けて…。
卒業後、みなバラバラになるんですけども中学時代も恵まれて…。3年の時には、大阪府、大阪市の春と秋、併せて4つの優勝を成し遂げています。中学では当時、全国大会がなくて、近畿大会も決勝まで進んだんですが、これも「優勝間違いなし」と言われたのに、そこでまさかの逆転負け。最後にてっぺんを見れず…。
高校時代、春の選抜大会では決勝まで行き、もうひとつで日本一というところまで行ったんです。最後ロスタイムまで同点、そのまま行けば両校優勝…それが、最後の最後にラストワンプレーで僕がタックルを外され、相手に60メートルの独走を許し、日本一を逃しました。冬はベスト4に終わっています。でも、そうした最後の悔しさが次への原動力につながり、ずっとラグビーをやって来た感じです。
ノートを見返し「まだ何も成し遂げていない」と叱咤
指導者に仲間に恵まれているからこそ、こうした負けの「矢印」は常々自分に向けておきたいと思っています。「神様が与えてくれた試練かな…」とか。「自分が試合を決定づけるほどの力を持てれば、仲間をひっぱって行ければ泣かず済む」と考えたり…。最後、笑って終われたはずだ…と。
こうした気持ちは、けっこうノートに書いています。もちろん、プレーの反省が主なんですが、率直な気持ちをがむしゃらに書いていることも多いです。大阪弁で「なんでやねん!」とか「むちゃ、むかつく!」とか(笑)。気持ちを殴り書きしていることも多くて、そんな悔しさが次のプレーへの原動力になってると思います。
自分を優れた選手だと思っていなかったし、仲間にひっぱられて来たので、自分の能力を伸ばすために必死でラグビーやって来ました。悔しさはモチベーションにつながるなと今も思っています。
人間どうしても、事がうまく運んだり、勝ちが続くと、天狗になったり調子に乗るじゃないですか。そんな時は、ノートを読み返して「お前はまだ、何も成し遂げていない!」と自問自答できるように使ってますね。ノートは大学入学前までに10冊ぐらいになっていて、大学からはファイルにまとめてます。昔のノートは実家に帰省した時に振り返ってますね。
ノートについて選手によって捉え方はそれぞれです。寝る前に30分で1日を振り返って書き込む選手もいれば、ミーティング中のコーチの言葉をしっかりノートする選手もいる。逆に「忘れるぐらいの言葉なら、重要じゃない。聞いた時に心に刺さる言葉なら、身にしみる」とあえてノートを取らず、とにかく集中して話を聞くという選手もいます。
ラグビーのために、選手ももっと発信して行かないといけないと思ってはいるんですが、SNSでの発信について自分は「日本代表でもないし、優勝チームの中心選手でもない」と躊躇する部分はあるんです。
ただ先日、安彦さんの記事を読んで参考にしようと思いました。選手として発信してしまったら、そのアウトプットにふさわしい自分にならないといけない!と自分にプレッシャーをかける意味もあるかと考え直したので…。
特にこれからしばらくの間は、ラグビーの本場ニュージーランドで学びます。日本では知られていない現地のラグビー事情なども発信できれば、日本ラグビーのためにもなるかも…と考えています。まだ、始めたばかりで、フォロワー数も多くないのですが、楽しみにしてもらえるとありがたいです。
(次回に続く…)
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