お坊さんアスリート・矢澤一輝はなぜ4度目のオリンピックに挑むのか 「お経で競技が強くなるわけじゃない、でも…」
カヌーは、アウトドアレジャーの定番。しかし「小舟で水面をゆったりクルーズ」というイメージからかけ離れた競技が、オリンピック種目「カヌー・スラローム」だ。川の中、全長250m〜400mのコース上に設置された18〜25個のゲートを、決められた順序で通過し、そのタイムとポイントを争う。このハードな競技で過去3回のオリンピック出場を果たしている矢澤一輝選手は、実は僧籍を持つ「お坊さん」。元陸上競技日本代表の為末大さんとの対談から、矢澤さんが向き合う仏教とカヌー競技の不思議な共通点が見えて来た。
「計算できない」自然との向き合い方
為末:陸上競技は「走るだけで何が楽しいの」と聞かれることがありますが、「カヌーって何が楽しいの」と聞かれたら、どう答えますか。
矢澤:カヌーは自然をとても身近に感じられるスポーツです。水上から桜を見たり、雪を見たり。暑い時期は寝そべって空を眺める、とか。現実からちょっと離れられるところが魅力ですね。
為末:矢澤さんは子どもの頃からカヌーをやっているんですよね。
矢澤:はい。父親の影響で小学1年から。父のカヌー姿がとてもカッコよかったんですよ。妹の亜季もカヌー選手で、リオ五輪には一緒に出場しました。
為末:カヌー一家なんですね。お父さんも高いレベルで競技を…。
矢澤:いえ、趣味の範疇でしたね。でも、自分が競技志向になったことにも、父が関係しています。一緒にカヌーをするようになった頃に、「オリンピックって、限られた人しか出られない大会があるんだよ」と言われて。出てみたいと思ったのがきっかけですね。
実際に競技カヌーを始めてみると、イメージ通りにゲートへ入れたときの気持ちよさにハマって、自然と競技に熱中するようになりました。
為末:カヌーだと、どれくらいイメージ通りに行くものなのですか。
矢澤:競技が行われているコースには、コンクリなどで造設した人工のコースと、自然のままのコースがあります。いずれにせよ100パーセント思い通りということはまずないですね。カヌーは流れに乗るスポーツですが、一口に「流れ」と言っても、川底や水量、風などさまざまな要因が複雑に絡み合っています。
一般的には自然のコースの方が難しいです。同じ傾斜でも、砂利の上を流れる水とコンクリの上を流れる水では、感覚が変わって来る。その意味では、人工のコースの方がまだコントロールしやすいです。
為末:陸上もタータン(ゴム)の上を走るのと土の上を走るのでは、まったく違います。
矢澤:たとえば自然のコースだと、勢いを抑えようとしても力が逃げてしまうというか、抜けてしまうというか。要因がより複雑で、計算しようとしてもできないんです。そうすると、60〜70パーセントでも思い通りに行けばいいほう…になります。
世界選手権やオリンピックは人工のコースなので、コントロールはしやすい。それでもゲートを前に予想しないほうに引っ張られて「あっ」と思う瞬間というのはあります。そのときに、立て直すための判断をとっさにしなければならない。
為末:ベストではないがベターな判断を、常に積み重ねて行かなければいけないんですね。
矢澤:はい。そういう時のために、自然のコースでの練習が必要です。自然のコースでは、想定していない状況が次々に訪れるので、応用力が身につく。逆に人工のコースだけで練習していると、いざという時の応用が効かなくなるんですよね。
どちらがつらい? 「修行」と「トレーニング」
為末:カヌー・スラロームでは、どんな選手が強いんですか。
矢澤:1分半くらい激しく動き続ける競技なので、よく言われるのは陸上競技の800mのようなものだ、と。
為末:スピード持久力が必要、ということですね。
矢澤:はい。トレーニングとしては水泳もしますし、ウエイトもします。あとは、体操選手と同じように自由自在に操れる体が必要なんですね。計算できない自然を相手にするので、せめて自分の体はできるだけ完璧にコントロールしたい。
スキー競技と違って、カヌー・スラロームはゲートに触れちゃいけないんです。触れるとペナルティとして2秒追加される。そもそもゲートを通過できないと50秒追加。でも、タイムを争う以上は、ギリギリを攻めないといけない。このような条件の下、鋭角にターンするのか、多少は膨らんでもスムーズに回るのか、作戦はいろいろあります。
為末:カヌー競技の醍醐味でもありますよね。どうやってあんなに急激にターンしているんですか。
矢澤:イメージとしては、道路を走って行って電柱につかまって方向転換するのを想像してもらうと、わかりやすいかもしれません。この電柱が水面に突き立てたパドルであり、ある意味では自分自身も電柱の一部になって、カヌーを回しています。
為末:まさに「体操選手の体」のように、軸となる体幹の力が必要ですね。
矢澤:そうですね。軸をブレさせないためにも、重心の感覚は非常に大事にしています。
為末:精神的なところでは、どういった人が強いですか。
矢澤:自分を持っている選手ですね。カヌーには教科書がないんですよ。もちろん、動きの基本はありますけど、やっぱり自然は計算できないので、状況に応じてどう判断して行くかが重要だと感じます。
為末:精神面と言えば、矢澤さんはお坊さんでもあります。仏教の修行はカヌー競技に活きていますか。
矢澤:当然ですが、お経を読んだからって、競技が強くなることはありません(笑)。でも、仏教もカヌーも、自分がやりたくてやっていること、として通底していますね。嫌なら辞めればいいんですよ。修行も競技も、来るものは拒まず、去るものは追わず。
修行とトレーニングについて言うと、「悟り」や「オリンピック」といった目標に向かって、自分の弱いところや足りないところを考え、見つけ、克服して行く点は一緒だと思います。その意味では、仏教はカヌーにも活きていますね。
為末:競技のトレーニングを修行になぞらえることはあっても、真の意味で修行を経験しているアスリートはほとんどいませんから、矢澤さんの言葉は重みがありますね(笑)。
矢澤:僕は天台宗なので、僧侶になる時に行う最初の基本修行の期間はそんなに長くなくて、2カ月ほど。最初の1カ月は5時に起きて掃除と食事。そこから16時くらいまで、お経について学ぶ授業みたいな時間を過ごして、また食事をして就寝です。
でも次の1カ月はいきなり2時起きになって、水浴び、水汲みをして、その後はお堂にこもって「修法(しゅほう)」と呼ばれる修行をします。1回3時間ほどを1日3回。23時くらいまで続く上に、内容が「同じフレーズを1000回唱える」というものもあります。3時間くらいしか寝ていないので、気を抜いたら寝てしまう。だから、ずっと気を張り詰めていないといけない毎日です。
為末:修行とオリンピックのためのトレーニング、どちらがつらかったですか。
矢澤:それは完全に、修行です(笑)。
4度目の五輪に挑むわけ
為末:そもそも、どうして僧侶になられたんでしたっけ。
矢澤:現在の国内の競技環境だと、カヌーだけでは生きていけません。でも、僕は大学卒業後のロンドン五輪までは競技を続けたかった。そのための環境を作ってくれた地元長野のカヌー協会会長・小山建英さんが、実は寺の住職だったんです。
ロンドンをひと区切りとして、その後は小山さんのように困っている人を広く助けられる存在になりたい。そう考えて出家することにしました。
為末:北京五輪では予選敗退でしたが、ロンドン五輪では日本人初の決勝進出を果たし、9位という結果を残しています。その後、一度は国際大会から引退されていますよね。
矢澤:そうですね。まさに、この時期にお坊さんになるための修行をしていました。
為末:アスリートには目標を達成したとき、次々に目標を更新して行くタイプと、プツッと切れてしまうタイプがいると思います。矢澤さんは一度、競技を中断して、また復帰されていますよね。ご自身としてはどちらのタイプですか。
矢澤:結果的には前者のタイプですね。
為末:中断と復帰はどんな経緯で…。
矢澤:北京の時はすごく緊張してしまって、自分の思う競技ができませんでした。ロンドンはその分、しっかり勝負がしたいと思って臨んで、実際に一定の成果を収めることができました。
だから自分の中ではある程度、納得してお坊さんになった。お坊さんって朝は早いんですけど、15時には日課が終わるので、午後は時間が空くんです。だから、その時間にカヌーをさせてもらっていたんですね。そこでタイムとかゲートとかを気にせず、のんびりぼーっとカヌーを漕いでいた時に、ポッと「また競技をやりたいな」と思ったんですよ。
為末:離れてみて自然と、という経緯だったんですね。
矢澤:はい。そこから競技のための練習を再開して、続けているうちに、リオ五輪の代表に選ばれて。リオ後は長野で僧侶に戻ったのですが、やっぱり東京五輪に出たくなって。だから、自分の気持ちに正直に従った結果、成り行きで……というところもあるんです。
為末:矢澤さんがいま、競技を続ける上での目標って、どんなものなんですか。
矢澤:うーん、難しいですね。「オリンピック出場」は子どもの頃からの夢なので、東京五輪は大きな目標です。大きく言えば、小山さんや、もっと以前には両親が自分にしてくれたみたいに、誰かのやりたいことをちゃんと応援できるようになりたい。
この意味でも、東京が次の開催地というのは、ただオリンピックに出場する以上のチャンスだと思っています。身近なところでカヌー競技が開催されることで、それを見た誰かに勇気を与えられたらな…と。
為末:「誰かのやりたいことを応援する」という長期的な目標に進んで行く中で、オリンピックという定期的な目標に向き合っているんですね。それだと確かに、プツッと切れることはなさそうです。
そして矢澤さんは最近、東京五輪を前に、拠点を長野から青森の西目屋村に移し、現在は僧侶ではなく、村の職員をされています。このあたりの経緯について、引き続き詳しく聞かせてください。
(次回に続く…)
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