巨人一筋21年 高橋由伸が語る野球人生、現在地、そしてこれから…(#1)
「球春」という言葉があるように、春は野球シーズンが本格的にスタートする季節でもある。
現役時代、攻守走三拍子そろった洗練されたプレースタイルと、アイドル顔負けの整ったルックスで、所属する巨人軍だけでなくプロ野球を代表するスター選手だった高橋由伸は、2016年、監督就任に伴い現役を引退すると、今度は「若き指揮官」として、プロ野球界に新風を吹き込んだ。
しかし3シーズン目の戦いを終えた昨秋、自らの意思で監督を退任。ユニフォームを脱ぐことになった。
今春から野球評論家として新たな活動をスタートさせた高橋が語る野球観、監督観、人生観……、まずは“今”の思いと、3年間の監督生活を、たくさんの笑顔を持って振り返ってくれた。
ユニフォームを脱いで見えてきた景色
あぁ、俺、ユニフォームを脱いだんだという実感が、よくやく湧いて来ましたね(笑)。
野球の暦で言う冬場のオフシーズンは、現役の頃から、少しグラウンドを離れて、シーズン中に会えない人と会ったり、家族と旅行したりと、そこは昨年も今までとあまり変わらない時間を過ごしていました。でも年が明けると、「もう自主トレに行かなくていいんだな」とか「そうか、今年はスタッフ会議がないのか」と、少しずつ違いを感じ始めました。
2月には「取材」という今までと違う立場でキャンプ地に行って、朝からグラウンドに出かけて夕方、宿に戻るという今までと同じ時間帯で動いているのに、同じ風景を見ていても、やっぱり何かが違うんですよ。しかも、慣れないスーツで(笑)。
4月からは解説の仕事で球場に行くと言っても、もう毎日ではなくなるんで、そこでまたいろいろ感じることはあると思います。でも、寂しさとか、そんな感傷は不思議とありませんね。むしろ今は何事も新鮮です。
プロ野球の世界って、選手でも監督でも、現役でやっていればその立場があるし、変なプライドみたいなものもあって、どうしても外からインプットする機会が少なくなるんです。僕は選手を辞めてすぐに監督になったし、プロとしては巨人以外のチームで野球をしたことがないので今回、初めて他チームのキャンプ地に足を運んで、今までもいろいろ人づてに聞いてはいたけども、実際に自分の目で見て、新鮮だし、すごく大きな学びになっています。
初めて語るメジャーへの思いと、幸せな時間のつかい方
また、2月にはアリゾナに行ってメジャーのキャンプも見ることができました。意外かもしれませんが、選手時代、メジャーで野球をしたいなんてことは一度も思ったことがなかったんです。プロとして結果や成績を上げるというゴールに近づくためには、何かを変えてストレスに感じるくらいなら、常に同じ環境でやることが自分にとってはベストという考え方だったので、「俺はずっとここでやるんだ」と変化を頑なに拒んでいました。
ただ、実際にメジャーのキャンプに行ってみると、「挑戦してみても良かったかもなぁ」と思うんです(笑)。最近は若い選手でも、オフに向こうでトレーニングをする人が増えているでしょう。それがなんとなくわかった。いろんな刺激や発見があるんだなと。
とは言え、そんな活動が自分の学びやインプットにはなっても、これからの自分にどう活かせるのかがまだ明確に見えて来ない。だからいつも、「俺に何ができるのか、何をすれば周りに喜んでもらえるのか」とは考えています。人生で初めてこうした自由な時間を過ごしているんで、ボーッと生きているとムダになっちゃう。この与えられた幸せな時間を、せっかくだからいろいろ考えながら使って行きたいと思っています。
現役時代にずっと考えていた「辞めどき」
人生の節目の時期なんでしょうね。選手を引退して監督に就任した時にも感じてはいましたが、たった3年後の今回も、また同じように感じています(笑)。
現役の時も、辞めどき、辞め方をずっと考えていたんです。プレーができる限りやりたい思いは当然ありましたけど、その一方で、何をきっかけにして辞めるのか…は、晩年ですけど頭の中で日々探していました。それに当時の僕に対して、「もうそろそろいいだろう」と肩を叩ける人が、なかなかいない現実もわかっていたし。
やっぱり衰えは感じていましたよ。だんだん高橋由伸のバッティングじゃなくなって来ている。それでもまだまだできることがたくさんあって、試合にも出ているのだから、一軍の戦力として見なされている。だからこそ、辞めどきの判断が難しかったんです。
そこに、監督の話が来た。急ではあったけど、「あぁ、これが自分の引き際なのかもしれない」と思いましたね。これを“きっかけ”にしていいことなのかはわかりませんけど(笑)。でも、「もういいだろう」と言われるよりは、「まだ、できるよ」と言える状態で辞められたことは本当に幸せなこと。今はそう素直に思っています。
「優勝する」なんて巨人の選手なら当たり前
監督としての成績は、3年間でほぼ5割(通算210勝208敗)。勝つことは簡単なことじゃないと思っていたので、数字を見て、そんなもんなのかなと。自分の采配についても、毎日必死に考えるだけ考えたし、信頼するコーチ陣と一緒に、やれる策はすべて打った。自分の思いだけは、監督になっても貫けたと思っています。ただ、優勝してないので説得力ないんですけどね(苦笑)。どうしても結果で判断される世界ですから。
なった時から、みんなから「良い監督」と思われるなんて不可能だと思っていました。自分もそうでしたが、選手って本来自分本位で、成績を残さなければ給料も下がってしまうわけだから、やっぱり自分を(試合で)使ってくれる監督が「良い監督」なんです。でも、いざ自分が監督になったら、全員を使えるわけじゃない。まして僕の場合は、監督になる一日前まで、みんな選手として一緒にやっていたメンバーですから、「コイツはこういうことがあれば、こんなふうに思うだろうな」みたいなことがだいたいわかっているわけです。だけど、これからは監督としての目線で接しなくてはいけない。「そりゃ良くは思われないよな」とは考えていました。
ただ、割り切ってはいたものの、「こう思ってるだろうな」というのを頭の中から消しきれなかった自分がいたのは否定できない。鬼にならねばと思いつつも、無意識のうちに甘さが出ていた。そこは反省点としてありますね。
毎日のように選手とミーティングなどで話す中で、僕は「チームのために」とか「優勝するんだ」という言葉はほとんど言いませんでした。そんなことは全員が当たり前のこととして最低限持っているものだと思っていたので。「じゃあ、その先の話をしましょう」と。僕はずっとそうした環境でやってきたし、その中で技術を持った人間が集まって来るのがプロの世界だろうし、それが巨人軍の野球だと思って接していました。
それと同時に、プロである以上、全員が同じ給料ではないし、全員に同じだけチャンスがあるわけでもない。その中で個々が「(お金を)稼ぐ」ことも必要なわけですから、だったら今できる、自分の仕事をきっちりやることが一番大切なんじゃないのかと。それぞれの立場で、チームプレーを自分のためにやる。それが結果的にチームのためになる。だから、「目の前のことに最善を尽くしてくれ」とはよく言っていましたね。
監督という孤独な仕事
「高橋監督は若い選手を育てた」とか言われますけど、僕はあまりそうとは思っていないんです。
監督の仕事として、毎年新しい選手が入って来て、誰かを少しずつ変えて行かなくちゃいけない。それが「育てる」ということなのかもしれないですけどね。じゃあ今いる中で、「誰がちゃんと働いてくれそうなんだ」と。それは僕らの勝手な主観でしかないけど、これと決めたら、その選手をなんとかしなきゃいけない。
昨年で言えば、それは岡本和真になるんですが、「岡本が活躍してくれたから嬉しい」ではなく、選手がひとり新たに出て来たことが嬉しいんです。そりゃ僕らだって、自分たちの判断が正しかったというふうにしたいから、どうしたら彼が良くなるかというのは常に考えていましたけどね(笑)。
だからと言って、岡本に固執したつもりもない。チームはひとりの選手のためにあるものではないんです。他にも、使ってみたいけどまだ力が足りなかったという選手もいました。その引き際、厳しく言うと見切り方が難しい。「どこで彼を引かせるのか」その取捨選択は、最後は自分の感覚だけが頼りです。そこはもう少し僕に経験があれば精度が上がったのかもしれません。だからこそ最後の勝ち負けの責任は自分が取るべき、という思いでした。
新しい選手が出てくれば、それによって出場機会を失う選手もいます。そうやって選手を替えることもそうだし、二軍に落とすこと、クビにする判断にも監督は関わらなくてはならない。ひとつの起用が選手の人生を左右するわけで、そこは正直、気持ちの重くなる仕事です。だから、「良い監督」なんて思われるはずがない、って考えるんですよ。
いろいろ支えてくれる人は周りにいたけど、やっぱり孤独です(苦笑)。選手時代は家に仕事(野球)をまったく持ち帰らなかったのに、監督になってからは家でも仕事のことを考える時間が増えました。家族との会話も減った気がします。でも、それは監督になる時に、監督経験者やプライベートでお世話になっている経営者の方、いろんな人に相談しましたが、みなさん「上に立つ者は孤独だから」とおっしゃっていました。そういうものなんだと受け止めて、やってきた3年間でした。
<執筆者:矢崎良一>
(次回に続く…)
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