目標はゴールだけ、過程にはこだわらない お坊さんオリンピアン・矢澤一輝が説く人生から「失敗」をなくす方法
トレーニングを「修行」になぞらえることはよくあるが、本当に仏門に入って修行した経験があるアスリートはほとんどいないだろう。その貴重なひとりがカヌー・スラローム競技で北京、ロンドン。リオ五輪に出場し、ロンドンでは日本人初となる決勝進出を果たした矢澤一輝さんだ。現在は青森に移住し、東京五輪への出場を目標にトレーニングに打ち込む矢澤さんと、元陸上競技日本代表の為末大さんが対談。ユニークすぎる経験に基づく言葉から、人生をスムーズに「漕ぎ切る」方法を探る。
目標は「ロンドンとリオの中間」
為末:現在は青森の西目屋村に住んでいるんですよね。
矢澤:はい、2017年4月から村の職員として働きながら、カヌー競技の練習をしています。西目屋村はスラロームのジャパンカップが開催される場所で、競技コースが整備されているんです。カヌーによる地域活性化に村を挙げて取り組んでいて、競技に集中するにはいい環境だと思って移住しました。
為末:やはり、東京五輪に向けて、ということですよね。
矢澤:もちろん、そうですね。リオ五輪は僧侶と二足のわらじで出場しましたが、本当にたまたま出場できた、という状況で。
「結果を出さなければ」とプレッシャーを感じていたロンドン五輪のような環境ではなかったので、ある意味では気が楽でした。オリンピックの雰囲気を楽しむ余裕もあって。でも、結果は11位。決勝には残れなかったんです。
為末:僕も大きな大会を楽しめるようになったのは、引退を決めてからでしたね(苦笑)。
矢澤:リオ五輪後しばらくは、引き続き長野で僧侶の務めを果たしながら競技を続けることも考えたのですが、より競技に打ち込める環境に移ろうと考え直しました。そうこうしているうちに西目屋村とご縁があって、思い切って移住した、という経緯です。
為末:移住先では、僧侶として働いているわけではないんですよね。
矢澤:はい。ただ、僧籍は残してあるし、今でも僧侶として生きているつもりです。なので、頭はこのように剃り上げたままですね(笑)。今でも定期的にお経を読んでいて、「一生僧侶」が僕のアイデンティティです。
為末:移住生活はいかがですか。
矢澤:西目屋村には白神山地から岩木川が流れていて、コースまで車で5分と、練習面では言うことなしです(笑)。村の職員としての主な仕事は、スポーツ大会の準備や子どもたちへのカヌーの指導です。
人口1400人程度の小さな村ですから、村民の方々と触れ合いながら、近い存在のアスリートになりたいと思っています。ちょうどロンドン五輪出場時とリオ五輪出場時の中間の自分、というような。
為末:「中間」と言うのは、後援会やスポンサー、周囲の人々と近すぎず遠すぎず、ということでしょうか。
矢澤:はい。競技は競技で集中しながらも、いかにもアスリート然とした、遠い存在にはなりたくない。子どもたちが「昨日会った矢澤さんがテレビに出てる」と喜んでくれるような関係であれば、「誰かのやりたいことを応援する人になる」という自分の人生の目標も実現できるのかな、と。
人生、複雑な計算式には意味がない
為末:もう2019年のシーズンは始まっているんですよね。
矢澤:はい、来週は海外に遠征ですね。
為末:矢澤さんにはコーチはいるんですか。
矢澤:日本代表合宿などでは、もちろんコーチについてもらうのですが、基本的にはひとりでやっています。自分の頭で考えて、試行錯誤しながらなので、大変ではありますね。
為末:僕も現役時代はコーチをつけなかったので、共感します(笑)。
矢澤:でも、自然を相手にするカヌーという競技では、そこまで不利に働かないとも感じますね。川底や水量、風などさまざまな要因が複雑に絡み合い、事前のイメージ通りに競技が進むことは、ほぼない。基本的なことさえ習得していれば、重要なのはその瞬間瞬間の判断力なんですよ。
為末:カヌーは競技人口が多いスポーツではないですし、さらにコーチもいないとなると、キャリアについて相談できる相手が少なかったのでは、と思います。引退と現役復帰、出家や移住という決断はひとりでされてんですか。
矢澤:両親などお世話になった人たちに相談はしますが、やはり最後は自分の決断です。そもそも自分がやりたくてやっている競技に関わることは、自分にしか決められないと思っています。
為末:ちょっと不思議なのは、出家や移住のような人生に関わる決断をしても、矢澤さんはすごくあっけらかんとしているんですよね。
矢澤:昔から僕はなぜか「緊張していなさそう」とよく言われるんですよね(苦笑)。北京五輪のときは緊張しすぎて失敗してしまったほどで、全然そんなことないのに。
為末:緊張を見せないようにしているんですか。
矢澤:そうですね。常に自信ありげでないと、弱そうに見えてしまうじゃないですか。あと、決断については正直、あまり深く考えていないのもあります(笑)。
為末:たしかに「普通じゃできない選択をしているな」とは思っていたんですよ(笑)。深く考えたら出家も移住もできませんよね。
矢澤:ですね、やってみないとわかりませんし。例えば西目屋村に移住したのも、東京五輪まで競技により集中するにはそれしかなかったんですよ。東京までやりたいんだから、選択の余地はない、と。
とは言え、社会人として生きて行く上での最低限のリスクヘッジはしていて、村の職員という生活の基盤があって初めて競技を続ける決断ができました。もちろん、西目屋村の方々のご理解とご協力があってのことですが。
為末:では、仏の道を選ばれたときは…。
矢澤:ロンドンオリンピック出場にあたってお世話になった小山建英さんの存在が大きいです。地元・長野のカヌー協会会長で寺の住職でもある小山さんのようなお坊さんになりたい、と思ったんですよね。後悔もまったくありません。
人生において複雑な計算式みたいなものは、あまり意味がないと思っていて。何か壁に行き当たったら、抜け道を見つければいいんですよ。目標に到達さえできれば、過程はなんだっていい。当然、競技と同じように、人としてのルールに則って、というのは大前提ですが。
カヌーも人生も「失敗」はない
為末:矢澤さんの人生は、まさにカヌー・スラロームですね。
矢澤:これまで深く考えたことがなかったのですが、まさにそうです。うん、本当にそうですね。
カヌーは「どうやってゲートを通過しよう」なんて、細かく考えても仕方ないんです。自然を相手にする以上、想定外のことは必ず起こりますから。
だからその過程で「絶対にこうターンしなければ」と決めたり、考えたりしてしまうだけでも良くない。だって、もし想定どおりに行かなかったら、せっかくゲートを通過できても「失敗」したということになってしまうじゃないですか。
だったら最初から、過程がどうこうとかは想定しない方がいい。そうすればそもそも人生から「失敗」もなくなりますからね。
為末:矢澤さんのこれまでの道のりは、一本道なのか、回り道なのか、振り返るといかがですか。
矢澤:ああ、考えたことがなかったですね。どうでしょう…。基本は大きな目標に向かう一本道というか、一本の木のようなものだと思っています。
為末:「木」ですか…。
矢澤:はい。幹があって、枝が出ている木のようなもの。僕はそこを進んでいて、途中にはたくさんの枝分かれがある。だから、たまに寄り道や試行錯誤をすることはあります。
でも、これ以上、進めないと気づいたら、元の幹に戻ればいいだけですよね。大局的に見れば順調に進んでいると言いますか。あるいは結局、進むべき道でないと、行きたいところにはつながっていなかった、という感じです。
為末:なんと言うか、悟りを開いていらっしゃいますね(笑)。
矢澤:まだまだです(笑)。でも、仏教にも通じる考え方だと思います。
やはり、カヌーにも似ています。人生もカヌーのように、どんなルートであれゲートを通り抜けられればいい。想定通りじゃなくても、失敗だなんて落ち込まずに、すぐに立て直せばいいじゃないですか。
為末:とてもポジティブで、矢澤さんらしいメッセージですね。では、人生がカヌーのようなものだとしたら、矢澤さんはどんなふうに漕いでいるんですか。
矢澤:「自分が流れに乗って進んでいる」という感覚が一番、大事ですね。僕、カヌーでとにかくスムーズに下ることに関しては、定評があるんですよ(笑)。人生も同様にスムーズに進めるように、いつも心がけています。カヌーよりもずっと難しいですが…。