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高橋 由伸

2019/3/28

巨人一筋21年  高橋由伸が語る野球人生、現在地、そしてこれから…(#2)

 高橋由伸を語るうえで忘れてはいけないのは、その華やかな球歴だろう。

 アマチュア時代から、高校1年生にして夏の甲子園に名門校の3番打者として出場し、大学では華の早慶戦で満員の神宮球場を熱狂させた。鳴り物入りでプロ入り後も、巨人軍の中心選手としてリーグ優勝や日本一を何度も経験。2004年にはアテネ五輪にも出場している。

 また、そのリーダーシップにも定評があった。高校、大学とチームの主将を務め、巨人軍でも選手会長。若くして監督まで登り詰めるのも自然の流れだったのかもしれない。

 後半はそうした球歴や経験を、時として真面目に、時として人間臭く笑いを交えながら語ってくれた。今の高橋は新たなスタートラインに立って、今後の野球界や、時には野球の枠を飛び出しての活動も模索しているようだ。

編集者 矢崎 良一

意外な野球少年・高橋由伸

 野球を始めたのは小学校4年生の時です。父もふたりの兄も野球をしていて、その背中を追い掛けるように自然な流れで地元の少年野球チームに入団しました。

 ただ、「野球が好きだったのか」と聞かれると、正直微妙なんです(苦笑)。嫌いではなかったと思う。ただ、好き嫌い以前に、とにかく練習に行くことが嫌だった。放課後は学校の友達と遊びたいし、週末には約束してどこかに行きたい。それでも子供の頃は、試合で活躍すると家族がみんな喜んでくれるから、期待に応えたいという使命感もあって、我慢して野球をしに行っていたんです。

 グラウンドに出れば、「周りの子よりも(野球が)上手い自分」に気づいていましたよ。やっぱり小中学校の頃は、打席に立てば打てるし、投げれば抑えられる。だから、やれば楽しいわけですよ。でも、そこに行くのは嫌、みたいな(笑)。

テレビの向こうの世界だったプロ野球

 そもそもプロ野球選手になれるなんて思っていなかったんです。これは本当に。子供の頃から、「現実を見なきゃいけない」性格でした。身近にあるものじゃないから、まったく現実味がなくて、「プロ野球って、どこにあるんだ…」みたいな感覚です。テレビの向こうの世界でした。何を目標に野球をやっていたんだろう…今考えると不思議ですよね。

 僕の中では中学までで野球を辞めるつもりだったのですが、父親に「あと3年間だけ楽しませてくれ」と上手く言われて高校でも野球を続けることになりました。そしたら高校は寮生活で、厳しい規則の中で生活したり、先輩との人間関係とか、また新しい悩みが生まれてしまって(苦笑)。当時の監督がしっかり最後まで支えてくれたことには今でもすごく感謝しています。

 そして、意識が本当に変わったのは大学2年生くらいですかね。初めて「(野球を)将来の職業にするかもしれない」と思い始めた時に、取り組み方が変わって来たんです。大学4年の時には、周りのチームメートと一緒に会社に資料請求をしたりして形だけ就職活動もしたことがありましたが、もう完全に進路はプロ一本に絞っていました。ドラフトの時の大騒ぎはさすがに想定外でしたけど(笑)。面白いもので、プロに入ってからは、練習に行きたくないとか、キツいと思ったことは一度もありません。結果に対しては、常にキツさを感じながらプレーしてましたけど。「もっと数字(成績)残さなきゃいけない」ってね。

写真提供:共同通信社

やると決めたらやる 結果も出す

 意外でしょうけど、こんな球歴なんです。こんな奴が、なぜ野球を続けられたのだろう…たまに考えるんです。

 これは誰かの意思じゃなく偶然だと思いますが、行く先々で自分に合った環境や恩師や仲間に上手く恵まれたんだなと。運も良かったんです。高校の寮生活は厳しかったけど、もし家から通う学校だったら、逆に毎日「辞めたい。もう嫌だ」って家族に愚痴ってたはずです。親元じゃないから言える相手がいなくて、逃げ道がなくなってしまった。逃げられないなら、3年間をどうやって過ごすか、と考えるようになりました(笑)。

 それと同時に、辛い中でもずっと試合に出られたことも大きい。野球が好きか嫌いかはさておき、やると決めたらやる性格なので、結果を出すようにそこそこちゃんと頑張った(笑)。それで高校でも大学でも1年の春からレギュラー、プロでも1年目からレギュラーを勝ち取って、同時に「俺が試合に出なきゃいけない」と使命感も芽生えましたね。

 そうやって、ずっと「レギュラー」でやってきた野球人生でしたが、プロの晩年、初めて怪我じゃないのに試合に出られない立場を経験しました。そりゃ心の中で葛藤がありましたよ。でも今の野球って、なかなかレギュラー9人をそろえただけで勝てるような時代ではなくなっています。用兵と言うか、レギュラーが怪我をした時のサポート役や、交代で出てくる選手たち、一芸を持った選手が非常に重要視される時代です。

 僕も試合の途中に代打で出て行く役割をやって、そういう立場の選手たちの大変さがわかったし、まず常に試合に出ていると、守備に就いている時なんて、ベンチでどんなことが起きているのか、ベンチ裏の動きがまったくわからないんです。いちプレーヤーとしてはレギュラーで最後までやりきれたらよかったのかもしれないけど、監督になった時、そこで経験したことが役に立ったことは少なくなかったです。

写真提供:共同通信社

「求められる」=「認められている」…じゃあ期待に応える

 高校、大学と主将をやって、巨人でも選手会長を任されて、ちょうど選手会のストライキの時で大変な思いもしました(笑)。よく「高橋は天性のリーダーだから」みたいに言われることがありますけど、そんなことはないですよ。僕、主将なんて、自分からやりたいと思ったことは一度もないですから。いつも「やれ」と言われて、「求められているのであれば」と引き受けるパターンです。

 でも、求められることは認められているわけだから、その期待に応えたいじゃないですか。だから監督就任の時も、やりたいとかやりたくないではなく、やりたいからってやれる仕事でもないし、それを「なんとかやってほしい」と言われたのだから期待に応えたい、求められたところでしっかり頑張りたい、そんな気持ちで引き受けたんです。

 昨年のオフ、選手時代から一緒にやってきた内海哲也と長野久義が、FAの人的保証という形で巨人から他球団に移籍することになりました。僕はもう監督を辞めた後でしたが、内海から電話をもらったんです。「良かったじゃん。選ばれたんだから」と言ったら、向こうはちょっと驚いていましたけど。慰めでも何でもない。本音です。

 そりゃ長年いたチームを出て行くわけで、複雑な気持ちはあったかもしれない。でも、内海も長野も、ここ何年か結果が残せないでいる中で、前年の優勝チームから「来て欲しい」と指名を受け、必要とされて行くのだから、それはすごく良いことだと思うんですよ。意気に感じてやったらいいし、とにかく頑張って結果を出してもらいたい。

求められる人間であるために、やって行くこと

 僕自身も、「このまま終われない」と言う思いはあります。ここで「監督はもういいや」なんて言ったら、つまらない人間じゃないですか。いや、やりたいとは言ってないですよ(笑)。ただ、また求められる人間ではありたいです。そうなるような良い時間を過ごさなきゃいけない。そうやって自分なりに、いろんな引き出しを増やして、オファーをくれる人たちにとって魅力的な人間にならなきゃいけない。そうじゃなきゃ、話も来ないでしょう。

 今年から野球解説者として、球場に行っても、インタビュアー…、聞く側に回ることになりました。これが本当に難しい。今までは聞かれる側だったけど、人にしゃべってもらうって、こんなに大変なんだって知りました(笑)。わかっているようで、実際にやってみないとわからないものですね。現役側にいる時って、聞かれて答える…求められたことしかしていなかったから。こちらから相手に求めて何かしてもらう作業を初めて経験しているところです。

 だから今後は、野球以外でも、ジャンルにこだわらず第一線で活躍しているような人の話を聞いて、インプットの作業をしたい気持ちがあるんです。僕もこういう年齢(44歳)になって、同級生は会社で責任ある役職に就いたり、起業して社長になったのもいる。そういうヤツらとの付き合いを現役時代から大事にして来たので、「今、世の中ってこうなんだよ」という彼らとの会話を、今度は自分が実感してみたいじゃないですか。そこでインプットしたものを、また野球に還元して行きたいんです。いろいろやりたいと言っても、タレントになりたいわけじゃない。「野球人」がベースにありますから。

 これまではプロとして、「ファンのために」という思いを、選手だったら打席で打つことで、監督であればチームが勝つことや、魅力的な選手を作り出すということで表現して来たのですが、これからは野球に関心が薄い人も意識した活動に幅を広げないといけませんね。それがまた、野球人気の拡大ということにつながって来るでしょうから。

(C)Getty Images :MensPrelims ITA vs JPN

現在地、そしてこれから……

 僕は幸運なことに野球一筋、巨人軍一筋で生きて来たんですが、やっと自由な時間ができた状態です。だから今は、とにかくこの時間を有効に活用して、新たな挑戦…、経験値を高めながら知見や視野を広げて行きたい。そこから自分に何ができるのか、どうしたら周りも喜んでくれるのかを、いろいろ試行錯誤しながら見つけて行ければと、そう思っているところです。

2019年3月福島市内で開催した野球教室の模様

<執筆者:矢崎良一>

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高橋 由伸(たかはし よしのぶ)

プロフィール
1975年4月3日生。千葉県千葉市出身。
桐蔭学園高では1年夏、2年夏に甲子園出場。慶大に進学し、1年春から4年秋までリーグ戦全試合フルイニング出場。三冠王獲得、通算23本塁打の東京六大学新記録を樹立するなど、神宮球場で数々の記録を打ち立てる。
97年ドラフト1位で巨人軍に入団。新人年から開幕スタメンを勝ち取り、巨人では長嶋茂雄以来となる新人打率3割をマーク。以降は松井秀喜氏(元NYヤンキース)らと共に球界を代表する選手としてチームを牽引。
04年にはアテネ五輪にも出場し、オリンピアンとして銅メダル獲得にも貢献した。15年現役引退と同時に、読売巨人軍第18代監督に就任。
3シーズンの現場指揮を執り、巨人一筋21年。今年から野球解説者として新たなスタートを切る。

矢崎 良一(やざき りょういち)

プロフィール
1966年9月5日生まれ。山梨県甲府市出身。
出版社勤務を経て、94年にフリーライターとして独立。
プロ・アマを問わず野球界を幅広く取材している。
『元・巨人』(ザ・マサダ)、『松坂世代』(河出書房新社)、『遊撃手論』(PHP研究所)など著者多数。

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