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青木 愛

2019/2/21

シンクロ“後”の青木愛、23歳で競技を離れ感じたことの数々…

 チーム最年少の23歳で北京五輪に出場した青木愛さんは、シンクロナイズドスイミング界にて将来を嘱望されていたひとり。しかし五輪後、競技人生にピリオドを打ち、様々なフィールドで活躍している「今」を語る。

 引退直後の指導者経験裏話や、競技を離れてから知った世界などについても踏み込んだ。

「帰れ!」と言ったら本当に帰る子たち

 北京の前、アテネ五輪に出られた先輩方は「次の世代に伝えて行く」という思いを持って代表に残ってくれたと思うのですが、私には無理でした。

 シンクロをやっていた人って、恩返しではないですけど、自分が所属していたクラブへお手伝いに行くことが多いんです。私は井村シンクロクラブ(現・井村アーティスティックスイミングクラブ)という大阪のクラブに通っていたのですが、母が病気ということもあり、何かあった時にいつでも駆けつけられるように、初めて通った京都のクラブへ戻りました。

 お手伝い程度で行ったつもりが、色々任されることになって、6年ぐらいコーチをやっていましたね。

 引退してから審判資格も取ったんです。もう今は資格期限を過ぎていると思うのですが、全国大会でも審判をしていました。

 最初はお手伝いみたいな感じでした。「ここの4人を見てあげて!」と言われたらそれに対応する…。もちろん最初はその子たちの名前も知らないので、名前を聞くところからスタートです。その次の年ぐらいからチームを持つようになりました。「チーム持ってみる?」、「曲考えてみる?」と聞かれ、気づいたらメインで指導していたという感じです。指導経験はなかったのですが、「自分がやってたことを教えれば良いかな」と考えて取り組んでいました。

 自分自身、怒られることが嫌だったからこそ、子どもたちには怒らないつもりでいました。でも、無理でしたね(笑)。その中で、反抗期の子供たちへの指導は難しさがありました。また、素直な子は素直だし、サボる子はサボる。一緒のチームでもいろいろと性格も違うので教え方も変えなければいけない。

 ただ、自分は選手よりも、指導のほうが向いているなとも思いました。

 自分の成長って目に見えないじゃないですか。試合に出て点数を聞いて、「前回より良い点数だったな」とは思えますけど、自分の目で見えるわけではない。後から見返すビデオくらいですし、試合から試合までの間の成長はそんなに実感がなかったんです。

 一方で教える側に立つと、1日ごとに子供たちができることが増えて行くのがわかる。目に見えてわかるのは楽しかったですし、やりがいを感じました。イライラもしましたけど(笑)

 私は最終的にクラスを持ったときに小学校4年生だった子たちを6年生まで教えていました。「6年生の時にメダルを取らせたい」とスクールにお願いして見させて頂いたんです。その中で、自分が小学校の時を思い出したらできないのが当たり前だと思うときもあって、子どもたちが出来ないことに直面したときには「自分はこの子たちの年齢のときにできていなかったんだから」と言い聞かせて教えていましたね。

 その中で自分たちの時と違うなと思ったこともあります。(やる気がないなら)「帰れ!」と言ったら普通に帰るんですよ(笑)。私たちの時代だったら同じことを言われても「すいませんでした!」と言いながらすぐコーチの後ろ回って謝っていたのに…。私たちの頃はどの競技でもそうだったと思うんですけど。

 厳しくそういう声をかけると、子どもたちが帰ろうとするじゃないですか。「でも、言ったの私だし止められんな…」と思って焦りましたよ。そのうち、コーチが引き戻してくれるんですけど、言葉をストレートに受け止めて、怒られた時にどうしたら良いかわからなかった子が多い…というのが一番大変でしたね。そこから教えなければいけないのか、と。成長を見るのは楽しい反面、「今の子たちってこうなんだ」といろいろと勉強になりましたね。

 当時教えていた子たちも、何人かは競技を続けています。今でも「今度試合なので、頑張ります!」と連絡をくれる子もいます。ただ、遠くて行けないことが多いですね。

 今はもう指導をしていません。特に指導者として「こうなりたい」という思いはなかったですし日本代表を教えたいとも…。ただ、子供たちを教えるのは好きでした。

 今あらためて指導をするなら、子供たちにシンクロの楽しさを伝えたいですね。でも、私はめちゃくちゃ厳しく教えるので、諦めない気持ちとか、厳しい指導に耐えれたからこそメダルを取れたとか、そういう達成感を味わってもらえたらなと良いなと思います。

 うちのスクールの子たちは厳しい指導に耐えてくれたほうでしたけど、卒業するときにもらえるアルバムに手紙や写真が添えられていて、その中には「今年も怖かったです」とか「めちゃくちゃ怖かったけど乗り越えてメダル獲れました、ありがとうございます」とか書かれていて(笑)。でも、「教えていてよかったな」とは思っています。

競技の普及、東京五輪、最近の趣味

 私がいろいろなメディアで露出されることで「元シンクロ選手」と出ると思うので、「ああ、こういう競技のこういう人がいるんだな」という形で競技自体を知ってもらえれば良いなと考えています。

 競技を広めるにはもっと教室を開くべきかな、と思います。指導者とプールの数の問題になってきますね。指導者にも、若い人がいないんです。引退して終わり、お手伝いで行ってそれまでとか、結婚して辞める、とかが多くて。いまだに私たちを教えてくれていたコーチが今の子たちを指導されていることが多いんです。

 せっかく来年には東京でオリンピックが開催されるので、何か携わりたいなと思っています。それはシンクロの指導者ではなくて、他の競技を伝える側でもいいかなと。

 競技を引退するまで他のスポーツとの接点はまったくなかったのですけど、お仕事でいろいろな現場に行ったり、自分でスポーツを見に行ったりするようになったんです。

 仕事で行くと体験させていただいたりするのですが、いざやってみると「思ってみたよりしんどい」と感じることもあります。それまではシンクロが一番しんどいと思っていたんです。練習時間も長いし、息も吸えないですから。

 でも、実際にやってみたらどの競技も辛いというか、厳しい世界だなと。そこからいろいろなスポーツに興味を持てるようになりました。

 空手もやりました。組手だと難しいですけど「型」だと表現するという部分でシンクロと似ているので「(私も)けっこうやれたかな?」と思いました。覚えて演技して、という部分で近いものを感じました。逆にレスリングとかは絶対無理だなと思いましたね。ひとりでやるものだったら良いんですけど、誰かと組み合うとかはちょっと。やっぱり、陸は無理だなと(笑)

 スポーツを離れると、今は空いている時間で推理小説を読んだり、ドライブしたりしています。あとは、最近やっと映画を観に行くようになりました。

 あまり、モノを収集するということをしないのですが、アクセサリーは集めていますね。直感的に可愛いと思ったものや、そのときどきの服に合うものを買ったりしますね。カバンも好きですが、買いすぎないようにしています(笑)。あとはサングラスやメガネを集めたりもしています。家に30〜40個あります。

 以前はアクセサリーを自分で作っていたんですよ。安いビーズなどを買って、ペンチを使ってピアスを作るというような。ただ、実家にその一式を置いてきてしまったので、もうやっていないんですよね。1年ぐらい、気が向いたときにやっていました。ハマっている時はすごくたくさん作ったんですけど、今はもうどこにいったかもわからないです。

 今、一番の癒しはトイプードルの「こむぎ」ですね。呼んでも気が向いた時しか来ないんですけど、最近はすっかり話相手です。次回は取材に「こむぎ」を連れて来たいですね。

<写真・撮影:山本晃子>

(次回に続く・・・)

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青木 愛(あおき あい)

生年月日
1985年5月11日
経歴
京都府出身。生後10ヵ月で母親と共にプールに通い始め、8歳からシンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)をはじめる。名門・井村シンクロクラブに籍を移してからジュニア年代の代表に選ばれるようになり、2008年の北京五輪にはチーム内最年少での出場を果たす。五輪直後に現役を引退し、現在はタレントやレポーターとして幅広く活動中。
SNS
Twitter:@aiai0511

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